ブログ運営, 考え事

9割の人はなぜブログをやめてしまうのか?〜ブログが続かない理由

 

 

なぜブログを書くのか? 

 

よくこの手の話が議題としてあがる。

 

しばらくブログの更新をせず、Twitterとも距離を置いていたのだが、その間ブログを書く理由を考えていた。

 

ごちゃごちゃしてきたので、とりあえず書き記していく。

 

 

よくあるやめる理由だが

 

  • ブログネタがない
  • 書く時間がない(ブログを優先できない)
  • 文章を書くのが、面倒、嫌になった
  • モチベーションが続かない(アクセスがない、反応が薄い、稼げない)
  • 炎上、いざこざでメンタルがやられる

 

こんなとこだろう。

 

ブログを書く作業は意外と難しい。上部のあたりは工夫すればどうにかなるが、予想外の反応は辛いものだ。

 

何かを発信するということは、誰かしらがそれを見るだろうし、全方向から人に好かれるような文章を書くのは到底無理な話だ。 

 

広く、雑音の大きい網の中で、掻い潜っていくには気概や能天さというものが必要だろう。

 

 

何のためにブログ ?

 

そもそも論だが、何のためにとか考えてる時点でブログは続かない。

 

金も承認も思うように満たされないことの方が多いのに、目的を設定してしまうのは心をへし折るには十分である。

 

たまにブログを始めたばかりの人でプロブロガー目指します!という人を見かけるが、電波で洗脳でもされてるのか?と思う(冗談で言ってなさそうなのが恐ろしい)

 

ブログ自体誰に強いられるわけでないから、辞めるハードルだって低いはずだ。

 

 

疑問に思う時点でブログを楽しめてないし、続く人はなんだかんだブログが楽しいから書く。

 

その結果、実績というものがついてくるのだ。理由を考える時点で停滞期であろう。

 

 

なぜブログを更新しなくなったのか

 

ここからは個人的な話を書いていく。ただ個人的な話を書いていく。

 

書かなくなった1番の理由は、自分自身にハードルが上がり自己嫌悪に陥ってしまったからだ。

 

決して書く時間がなかったわけではないし、ブログネタも十分ある。ただ書かなくなったというより、書けなくなった。

 

 

 ブログは難しい

 

ブログを始めた当初はもっと適当に書こうと思っていたが、他ブログを見るほど自分の記事が稚拙に思えてしまい、何記事も消してしまった。

 

どうでもいいことならいくらでも量産できる自信はあるが、自分自身がつまらない記事がどういうものかと理解してしまったがために、ハードルが上がり許せなくなってしまったのだ。

 

自分の一挙一動が見られているような気がしてしまい、これでいいのかと疑念が止まらなくなる。

 

そうして記事を書かなくなるうちに、余計に注目が集まるような気がしてしまいさらに質の悪い記事が書けなくなるというループが生じてしまうのだ(もっともそこまで注目されているわけでもないのですが)

  

 

そもそも何を書けばいいのか分からない

 

ブログを書いていると様々な悩みに直面するのだが、そもそも相談し合える場所がない。Twitterでは衆目の目に触れすぎて言いづらいし、仰々しくブログ相談に乗ってもらうのもハードルが高い。一種の気軽さがないのだろう。文章を書くというのは孤独な作業であるしそもそも正解がない。およそアクセスを集めるのは少数の記事であり、金脈を当てるには書き続けるしかないのだ。駄作を書けば自己嫌悪に陥るし、自分の中の客観的指標に能力が追いついていると思えなくて自分で自分を許せなかった。ブログを書き続けることでどこまで改善していけるのかもよく分からなく手が止まってしまった。版本のように事前に確認してくれる人がいればいいのだが、常々不安と戦いながらアップロードしなければいけないのだ。

 

 

ブログに費やす時間

 

当たり前だが、皆誰しもリアルの生活がある。ブログで生計を立てているならまだしも、趣味でやるブログなど優先度が低くなるはずだ。自分が力作と思い書いたものに限って評価が悪かったりするので、やる気が削がれてしまう。一記事だって長ければ6,7時間ほどかかることだってあるし、途中でなんか違うなぁと思ってボツにすることだってある。社会人であればプライベートな時間を合間縫って書かないといけないし、無職だって時間がある分、のめり込みすぎてしまいドライさが保てないだろう。娯楽として他ブログやTwitterを読むのは面白いが、正直知識としては本に劣るし、そこまで時間を費やすメリットがあるか疑問を感じてしまう。人生というものは長く、プライベートを犠牲にしてまでネットに時間を注ぐ価値があるのだろうか?ブログ以外にもっとやれることがあるんじゃないかと冷静さがよぎってしまう。

 

 

Twitterとの付き合い方

 

ブロガーであれば、Twitterを使っている人は多いだろう。ブログを続けていく上で、他ブロガーとの交流も大事になってくる。モチベーションしかり、情報しかり、発信としてもだ。距離が近くなればなるほど相手との心理的距離も近くなるものだが、それ故に危険性を帯びている。中途半端な馴れ合いは時に、互いの傷を抉ってしまうこともある。気軽だからこそ慎重さが必要になるし、どうリプを返すか考えるだけで疲れてバタンキュー。ブログと違って書き直しできないのがTwitterの難しい所だ。基本的に何でもつぶやけると思いきや、衆目の目に触れるのでヘイトや独り言をつぶやくのも案外できない。タイムラインに撒かれる情報はリムやミュートだけでは濾過しきれないので、どうしても不快な情報はせきとめられない。いまだに交流のしかたはよく分からないし(特に初対面)、文字のコミュニケーションだと伝わらない部分がどうしても出てくるのも辛い。それに、ブログを更新しないとなんでこんなとこで暇つぶしてんだと思われそうなのは考えすぎか?

 

 

 個人を出さずにブログを書くのは難しい

 

客観的なオピニオンならいざ知らずだが、おおかたそれだけをメインにやっていくのは難しい。そうなると自分の知識を使って情報を語っていくのだが、どうしても自分の経験や主観的感想などが多くなる。匿名のブロガーであればあまり個人情報は出したくないし、知人にバレたなんて日には死を覚悟するだろう。ブログにおいてオリジナルな言葉というのは大事なのだが、どうしても文章に“自分”というものが滲みでてきてしまうのは問題である。無論検索からの来客者は書き手の個人性などにまるで興味はないし、ただ必要な情報さえ手にはいればいい。さらには、書きたいことに限って個人的な他人は興味を持たないものばかりで、何を書いていいか困ってしまう。ただの日記ならいくらでも書けるかもしれない。が、他人は思っている以上に自分の話なんて興味はない。僕自身、欲の解放としてブログを使用したかったのに、それが現実と同じものだと気づいてしまい反吐が出そうになった。正論は通用しないし、掘り下げるほどネットというのは現実的な場なのである。適当に書くことは許されていても、書くことに意味を持たせてしまう以上、自分で許容できなくなるのだ。誰にこういうことを書くなと言われているわけではないが、人に見られるというのは難しいものだ。

 

まとめ

 

だらだらと書いてしまったが、以上のことを集約すると考えすぎで終了!

 

考えすぎないのも難しいね。ブログってこんなに大変だったっけ。それでもなぜブログを書くかと問われれば、そわそわしてくるから。書く理由なんてそんなもんじゃない?

 

ほんじゃーね

 

考え事

ニートの定義とは?意味合いを考えてみる

 

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先週の放送に続き、ザ・ノンフィクションを見ていた。

 

ニート的な方々の生活を写した特集。

そんな中、ふと疑問が浮かぶ…。

 

ニートの定義って何だろう?

  

 

ニートって?

 

>十五歳から三十四歳までの、家事・通学・就業をせず、職業訓練も受けていない者。                                                                                          NEETnot in education, employment or training の略。イギリスで言い出し、二〇〇四年ごろから日本にも広まる。              -Wikipediaより引用-

 

学説的にはこう。

 

こうあてはめてしまうと不登校の中学生や、中年の無職はニートでなくなってしまうし、スネップなんてあまり使われてない。

 

クソまじめに定義をハメ込むいない。

 

 

ニートということばの使われかた

 

 

はてな村に産まれ落ちて1ヶ月弱が過ぎるが、色んなブログを掘れば掘るほど無職・ニートが出てくる。こんなにもニートがいることにニート自身驚くものだ。

 

むしろ無職にならないとはてなブログやらないのかと思うくらいニートがわんさかいる。これが暇と所属欲求の為せる業だろう。

 

 

で、ここでニートと自称する人たちの特徴をみるとこんな感じだった。

 

  • フリーランスや兼業している人がニートと名乗る
  • 定職についてなくても何らかの形で稼いでる人
  • 社会人や学生が休日やだらけてる時に ニートだわー っていうやつ
  • フリーターというのが恥ずかしいからニートと自称する
  • ほんとうにただの無職のニート(置かれている状況も人それぞれ)
  • ニートといいたいだけの人

 

従来のニートという意味合いとはまったくかけ離れている…。無職の当事者としては困惑気味である……。

 

 

ファッションニート多すぎ問題

 

 

僕自身ニートという言葉にアイデンティティを持っているわけではないが、ここまで多用されると腑に落ちない感覚になる。

 

この頃ファッション〇〇〜というのが増えているが、言葉の便利な部分だけを乗っ取ろうとするからこのような現象が生まれるのだろう。

 

なぜニートでないのにニートという言葉を使うのか?それは一種の魔法のような魅力があり、使い勝手がよいからだ。

 

 

ニートの意味合い

 

 よく使われるパターンとして「ニートのくせに」というものがあるが、接尾の“くせに”というところに諧謔さと嘲笑のようなものが含まれている。

 

現代社会において“働いてない人”というのは嘲弄の対象になり、社会風刺的に用いられる。

 

そこに見え透いた寸法で自虐的に使われる。つまるところ、ニートという言葉をポジティブに捉えて自己正当化しようという流れであろう。

 
ニート=無職のはずが、
ニート=だらける人という意味に近づいているのだ。
 
 

現代における肩書き

 
 
似た話だと一時期、メディアクリエイターやプロブロガーが流行り、物議を醸しました。
 
そもそも、名乗るだけでなれるものに意味はないのですが、、
 
 
メディアクリエイター!!!!  
 
ーーなんかすごいことしそう!!!
 
今日から私はプロブロガーだ!!!!! 
 
ーーひぇぇぇ〜やべぇちびっちゃうよぉ〜!!!
 
 
 
と、、いう感じで、本質が見抜けない人ほど肩書きに騙されてしまいます…。
 
実績がなくても使えるので、すごいんじゃないかと勘違いする。
 
ニートも同じように、自称できる肩書きには価値はないんじゃないか。
 
 

言葉の乱用

 
 
フリーランスや、ネットで稼ぐ人たちが増えて職業の曖昧さが出てきた。ニートの意味合いが抽象的になっていき、で自己申告制という相反が生まれる。
 
正確にはフリーランスはニートでなく、金を稼いでる人も違う。フリーターは働いているし、社会的規範の中で生きている人間はニートではないです。
 
 
だけど実際そこまで考えて使っている人はいません。気分で使えるので深い意味はないでしょう。2000年初頭のニート像は崩壊しました。
 
時代によって言葉の意味合いは変わるので、こだわっても仕方ないね。
 
 

まとめると

 
ニートとは状態ということ。ダラけていればニートを名乗れます。
 
辞書的な意味合いから、抽象的な言葉へと変化しました。こういう状況なら、好き放題名乗ってもいいじゃないかと思う。1億総ニートみたいな感じで。
  
ニートが普遍的になれば、今度は〜系ニートということばが生まれるでしょう。
無職系ニートとかね。
 
 
おわり☆
 

あわせて読みたい 

 phaさんの著書についての記事

 
 
考え事, 読書備忘録

『ニートの歩き方』をニートになって再び読んだ感想・所感

 

発売されてから少し経った後にこの本を読んだ記憶がある。当時はまだ学生で、なんでこの人はだるいだるい言っているのだろうと思った。

 

しかしニートになった今読み返してみると、共感する部分がたくさんある。

 

 

phaさん(@pha)は知っている人も多いだろう。phaの日記を始めとして著作もいくつか出している名の知れたニート。ザ・ノンフィクションにも出ている。

 

簡略的に説明させてもらうと、京大を卒業してから企業勤めを経て退職し、ギークハウスを発足したという人。

 

前に書いた吉田寮の記事も著書で同大学の熊野寮について触れていて、旅行のついでに泊まった。

 

 

 

文章構成

 

phaさんのニートに対する考えとメキシコの漁師の話から始まり、

 

 

第1章:ニートのネットワーク僕がニートになった理由

 

第2章:ニートの日常風景-コミュニティとゆるい生活

 

第3章:ニートの暮らし方-ネット時代の節約法

 

第4章:ニートのこれから-社会・人間・インターネット

 

 

といった構成。細かい目次や文章の一部もこのサイトに載ってるので見てみるといいと思います。

 

 

ニートの生き方の可能性

 

前半部はニート生活、金銭問題、ネットでのつながりについてなどノウハウ本に近い。

 

この本を通じて思うのは 、ニートでもここまで生き抜けるんだ!ってこと。ネットを活用することで無職でも生きる方法が沢山あることがわかった。

   

厳密にはphaさんはニートではないけれど、ニートの定義が曖昧な今、そんなことは関係ないと思います。一読することでphaさんの暮らしが垣間見える。

 

ニートの状態で生計を立てるというのは想像しづらいし、無職の人でも生きていける方法はネットの可能性を感じさせるもの。

 

 

ニートの孤独

 

 

なぜニートが、ギークハウスのようなシェアハウスで共に暮らすのか?たしかに荷物不要で安い値段で暮らせるシェアハウスは生きるハードルを下げるけどね。

 

 

そもそもニートと一般人が違うのは、あまりに孤独が辛いということ。

 

 

社会的に所属を得ている場合、休みの日に1人で居てもどこか孤独が心地いい気がします。けれど無職の孤独は、基本的に長期的に1人の状態です。とても辛く、まるで世界に取り残されている気分になる。

 

人はどこかに所属し、群れ、欲を満たされることで生の実感がわくけど。生きる喜びを分かち合えない無職ほど、孤独が“孤毒”へと変わる。

 

だからニートたちはそんな辛さを感じないために、寄り添い合い生きていくのでしょう。

 

 

以前読んだ時の違和感

 

 

以前読んだ時、突っかかるものがあったのはなぜだろうかと思った。自分なりに考えると、理解・共感の問題ということでした。

 

人は基本的に自分の経験の範疇で物を考えます。自分が経てない境遇に対して想像する行為は難しい。

 

どちらかというと、インターネットにゆかりのなくてバリバリ働いている人が読んでも共感しにくい本。

 

視野が広がるとは思うが、現実的にネットで活動している人でないとわかりにくい。

 

境遇が変われば、本に対する考えはここまで変わるのか!と感動すら覚えました。

 

 

生きるとは住み分けではないか?

 

 

こういう働かないで自堕落している人、を理解できない人種は、一定数いると思います。先ほども言いましたが、想像というのはそれぞれの経験に大きく基づくものです。

 

 

世界には無数のコミュニティが存在し、それが重なりあって構成されてます。

 

人は生まれてから家族という固まりに参入し、幼稚園児でも既に仲良しグループを作る。

 

 

生き方というのは成長するにつれて様々な方向へと拡散していきます。そして各々のコミュニティへと所属していくのです。

  

生きるとは住み分けていく行為であり、外部コミュニティからすればどうあがいても理解できないのかもしれない。それでも常識というもので思考を固めてしまうのは危険だよね。

 

 

当たり前だが無職でも様々な無職がいる。肩書きだけのニートの人だっている。

 

社会人の方が逆に働きすぎなのかもしれない。

 

常識の観点は千差万別。。

  

 

働くことが悪いわけではないし、それもまた大切なこと。

 

 

人それぞれできる限界というものがあり、それを超えると壊れてしまう。生き抜く術を見出せる人は無職でもいいでしょう。
 
 
生きてるだけで素晴らしいって思えれば幸せだよね。
 
 
人はなかなか自分と境遇の違う人物とはわかり合えないから、こういう本で少しでも理解が深まればいいと思います。

 

phaさんという人物像が滲み出てるような一冊でした。

 

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

 

  

 

あわせて読みたい

 

 ザ・ノンフィクションを見終えたあとに考えた、ニートの定義とは?

 

〜が好きだ, 考え事

嗜好品としての煙草という考え方

 

今年に入ってからも煙草の値段はどんどん上がっている。ここ10年で1.5倍ほど。

値段の6割ほどを税金が占めているから、除いた元の値段は思ったより低いけどね。

 

  

f:id:kamaboko55:20170518125623p:plainJTのホームページより抜粋>

 

まるで税金を吸っているよう。

そんなタバコというものを少し考えていこう。

 

 

現在における煙草の立ち位置 

 

オーストラリアなどの欧州の方では1箱3000円近くになっている。物価が高いにしても飛び抜けた値段だ。あまりの高さに手巻き煙草などを吸っている人も多い。

 

日本だって消費税が上がればさらに値段は上がる。たばこは危険だと国はいいつつも、なくなれば困る人はいるしたばこ税を得るために止めはしない。

 

いまや煙草の地位はだだ下がりで喫煙者も肩身が狭いだろう。むかしは映画やドラマで俳優が場の雰囲気を演出するのによく使われたりして、多く市民権を得ていた。

 

しかし今ではタバコ=かっこわるい、低所得者がよく吸っている、というような悪評がつきまとっている。吸える場所も少なくなってきて、探すのが億劫になるものだ。

 

 

煙草の何がいけないのか?

 

 

そもそも煙草の何がわるいのかを羅列していくと

 

  • 健康被害(吸う本人と周りへの副流煙)いわゆる煙害ってやつ
  • 指定された場所で吸わない、ポイ捨てするなどの喫煙者のマナーの悪さ
  • 医療費増大(これ関してはたばこ税というものがあるが)
  • 未成年喫煙

 

等々というはなし。

 

残念なことに喫煙者の中にはそういう人が多いからそういうイメージを持たれてしまうことはしょうがない。

 

道にポイ捨てするのは当たり前な感じになっているし、周りにいる人への配慮が足りないのは明らかだろう。

 

煙草を吸っている本人への健康被害は自己責任だから関係ないけど、周りに迷惑をかけるというのはよろしくない。

 

喫煙者がまず配慮すべきは他人に迷惑をかけないということではないか?
 
 

煙草のススメ

 

ここまで語っといて何だが、厳密には僕は喫煙者ではない

 

煙草を吸うのは2,3ヶ月に1回数本といったところである。お酒を毎日飲むとは限らないのと同じようなものだ。たまに気分で楽しむ程度でしかなく、自制が効かなくなると分かっているので止めている。
 
タバコに依存する人が悪いとは言わないが、個人的には依存して吸わざるを得ないというのは嫌だ。
 
依存しないためにも1箱買ってもぜんぶ吸わずに捨てるか誰かにあげるようにしている。数本単位で売ってくれてたら嬉しいんだけどね。
 
タバコ本来の目的がどうであれ、楽しむという行為もあっていいのではないかと思う。
 
今回は“嗜好品”として、煙草を紹介していきたい。
 
 

煙草の味わい方

 

 

ただ吸うだけじゃなくて、タバコは味わって楽しむことができる。

 

煙草の美味しさが分からないと言う人はいるが、だいたいは吸いかたが悪い。最初は煙草の火をつけることすら難しいが(タバコは吸いながら着火する)何本か試しているうちになんとなく吸い方が分かってくる。
 
ふかしだと吸ってるうちに入らないという輩がいるが、味わうならむしろふかしのほうがいい。
 
タバコは酒と同じように様々な種類があって、喫煙者でもそれぞれのこだわりがある。銘柄によって味は全然違うのでいろいろ試してみてほしい。
 
美味しい煙草は本当に美味しいし、刻みタバコや葉巻を初めて吸った時は驚いた。自分の使うライターにこだわってみるのも楽しいはずだ。
 
 

煙草を吸うのに好きな場所・タイミング

 
 
勝手にランキングをつけると
 
  1. 雨の日のタバコ
  2. 大自然で吸うタバコ
  3. 酒の席で友人と吸う煙草
  4. 喫茶店などの店内で吸う煙草

 

というかんじ。

 

気分が浮かないときとか、物憂げなときに煙草を吸ったりする。たばこの効用がどうこうというより吸う行為そのものに楽しみがある。

 

雨の日で外出するのも億劫なときにベランダでぼーっとしながら吸って、雨に煙が溶け込んでいく様をただ眺める。

 

自分一人で吸うだけじゃなく、友人との飲みの席での相性だっていい。酒を飲みながらのタバコは格別だ。

 

なんだかんだ煙草は人との交流を繋げるツールであったりもする。

 

  

タバコへの考え方

 

実際、他のものに比べて依存性は強いし、中毒化しやすく悪いイメージがあるけど、頻繁に吸わないようにすれば楽しめるはず。

 

煙草のイメージがただニコチンを摂取するだけの道具みたいになっているのは悲しい。酒やコーヒーを楽しむように煙草だって優雅な気持ちで吸わせてくれればいいじゃないか。

 
そもそもなんだが、タバコが悪いというよりマナーを守らない喫煙者が悪い。酒飲みの方がよっぽど迷惑をかけていることが多いのではないか?
 
勘違いされたら困るから書いとくけど、積極的に喫煙しろと推奨しているわけではない。ただ、嗜好品として吸うという楽しみもあるよということを伝えたい。
 
煙草は依存性の強いものだし健康に影響があるのは事実だから、安易に奨めることはできない。ただ他人に迷惑をかけずに、健康に被害が出ない程度に吸うのもいいのではないかと思う。自分がタバコを止められる自信がないなら吸わなくていい。
 
タバコを吸っても結局死ぬやつは死ぬし、70過ぎてもタバコを吸ってて死なないやつは大丈夫と言うデータもある。よくいう話だが人の死亡率は100%だ。むしろストレスを過剰にためるというのが健康にとっていちばん良くないだろ。楽しむために吸ったっていいはずだ。